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《超常現象》

2011年9月 5日 (月)

阪神・淡路大震災 先輩の命助かる

支部長(※)の一言  「東京に帰れ」 で 阪神淡路大震災から逃れました。

 阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、1995年(平成7年)1月17日(火)午前5時46分52秒 に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害。
Photo

 先祖供養会の先輩kさんは、霊能者(呼び名 内容は違いますが)になるために 阪神淡路大震災の数日前から大阪から車で神戸まで修行で早朝毎日通っておりました。

 1/16 に支部長(※)から修行の途中で 「東京に帰れ」  と云われましたが、どちらからと云えば強情な方ですが すんなりと素直になり帰りました。

 ※私のブログ 「支部長の先祖供養」 ↓下記参照
    http://homes83.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9787.html

 帰らなければ丁度あの時間に折れ曲がり傾いた高速道路を自動車で通行していました。
支部長は前もって分かっていて 「東京に帰れ」 と云われたのでしょう。
先輩kさんは 「危機一髪を守護神、先祖に救われた」 と云っておりました。

 ◎私は今まで命に関わる体験はありませんが、より一層先祖供養に尽くします。

2011年7月15日 (金)

阪神・淡路大震災で、先祖供養本部建物無事

 1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害ありました。
神戸にある先祖供養会の本部の大きな建物が崩壊せず健全でした。

Photo_2 
  私のブログ 「私の先祖供養」  (↓下記)
      http://homes83.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-6d4d.html
の内容で私は、平成5年11月に先祖供養会に入会しました。
そして2年後の平成7年1月17日に阪神・淡路大震災発生をテレビのニュースで知りました。

   私のブログ 支部長の先祖供養 (↓下記)に記載した
      http://homes83.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9787.html
 ---”先祖供養の会は、ある事をクリアーすると霊能者(内容は相違しますが、と呼びます)に先祖(他にもあり、これだけではないですが)に会わせてもらえます。”---

 私も平成6年1月に霊能者に先祖の事を聞きに本部に行き、大きな講堂その他建物を見ていましたので心配して先輩に問い合わせましたが、不明でした。
後日会合で建物は無傷で蛍光灯等細かいものが破損したと聞かされ安心しました。

 これらの建物は、先祖供養の創立者(超能力or神力有ると思います)が「この場所は大丈夫」と云われたそうです。
それから創立者が亡くなって、残った信者が本部の近隣に建立したお墓は全壊でした。

 ◎その後何度か本部に訪れて建物を目にしてますが、驚きの 一言です。

2011年4月15日 (金)

サリン事件のOさん危機一髪

1995年3月20日午前8時40分、東京都千代田区営団地下鉄霞ヶ関駅で起こったサリン事件に危機一髪で難を回避出来ました。

Photo

 先祖供養会(↓下記参照)の会合では毎回数人の体験談をお話します。
  ブログ「私の先祖供養」 http://homes83.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-6d4d.html

 その中のお話で 先輩Oさんは いつも地下鉄サリン事件の有った時刻の電車で通勤しています。
その日はなんだか立ち食いそばが食べたくなり立ち寄り食したのでいつもの時刻より遅い電車の乗車になりました。

 Oさんは一つ手前の駅で降されて外にて出て先の駅まで歩いていくと救急車が何台もいて大騒ぎになっておりました。
会社に着いたらこの電車に乗車して被害に遭った人がいて、大変な事件だと分かりました。

 その頃自宅の奥さんは早朝 夫を送り出して 8時頃寝ようとしたが寝られず何か「お経を上げよ」が聞こえて 一心不乱に夢中でお経を上げてました。

 先祖供養会でOさんは20年以上先祖供養修行していたので、命を助けて頂きましたと O さんは云っております。

 ◎先祖供養の会が真実であることの実証がまた一つ増えたと思います。

2010年8月27日 (金)

霊界の父親から

父親は、昭和32年永眠 (母親は当時は健在) から数年経過してのお話
          *以後話をわかり易くするので敬称は省略します。

母親の知人の友人(母親とは交流がありません)がある霊能者に見てもらいに行った。
 
友人に関係ない私の父親が出て
  父親 「(自分の名前を名乗って) "米ヶ浜の土地" が心配で名義書換を急ぐように」

友人は何のことか分からず知人に話したそうです。

知人は名乗った名前から母親の夫と分かり、話がきました。

"米ヶ浜の土地" は父親が羽振りが良いときに
口約束で土地を担保にお金を貸したが返金されていませんでした。

父親は、仏になって相手が信用出来ない人であることが分かったのでしょう
心配して他人を通してメッセージをくれました。

早速母親が交渉して名義書換を無事完了しました。

 ◎霊界の存在がますます濃厚・・・です。

追記 2012/02/22  この土地のつづき あります よろしかったらどうぞ。
  私のブログ゙ 「孝行自動車」 をマウス左クリック
    

2010年8月24日 (火)

女性の幽霊

 私が中学生頃に聞いたお話です。

 父親は、昭和32年永眠 生前中、TAXI会社管理者との会話
   管理者 「鎌倉から逗子の途中に幽霊をTAXIに乗せた話が 噂になっています」
      父 「そうですか」

 実家は運送業で、TAXI勤務で時々実家にアルバイトに来る運転手さんとの会話

お話1
      私 「鎌倉から逗子の間に幽霊を乗せた件を聞きましたがご存じですか?」
   運転手 「実は私が乗せました」
      私 「ええ・・・ビックリです」
   運転手 「夏の雨が降っている午前2時頃、踏切の手前に女性が手を上げたので乗せました」
   運転手 「どちらまで?」
     女性 「すぐそこまで」
   運転手 「踏切を渡り少し行って、詳しく聞こうと思ってバックミラーを見たら女性が消えていた」
   運転手 「車を止めて調べたら座席は濡れていました」
   運転手 「こわくて夏なのに(当時はクーラーは有りません) 車の窓を全部閉めて吹っ飛んで帰りました」

お話2
   運転手 「その後夏の雨降りの午前2時頃、他の運転手さんが外人を乗せて踏み切りまで来た」
   運転手 「女性が立っているのを見て、外人  「かわいそうだから乗せてやれ」 」
   運転手 「外人は前の助手席乗車でしたので後部座席に乗せました」
   運転手 「その後女性が消えたので外人と運転手 ビックリ 外人は真っ青 吹っ飛んで帰ってきた」

追記 2014/08/18
    Googleマップで場所を調べ
当時の面影はありませんが、追加記載しました。

          マウス左クリックで 拡大

                       ↑ マウス左クリックで 拡大します   

 その後何年か経過して

---笑っていいとも--- のTV番組視聴でのお話
 鎌倉逗子の間で幽霊の話を聞いた あるタレント数人で夏の雨降り2時頃鎌倉逗子の場所に行きました
   タレント 「鎌倉から逗子の終点まで来たが幽霊なんか出なっかった」

 スタジオに帰ってきてから番組関係者は
   関係者 「近くの人から電話で 「なんで人を車の天井に乗せて走るのか 危ない」 の連絡が有りました」

◎私のブログ 霊界の父親から 同様  霊界存在は 間違いないデスネ。      

2010年7月27日 (火)

霊能者

 昨年99才で他界した 母親から聞いた話。
終戦後 母の妹が初めて我が家に連れてきた霊能者が、仏前で5才で亡くなった次男が現れて

次男 「あたいは、早く死んでしまいつまらない」      

          --->男の子なのに自分のことを「あたい」言っていました。

母親 「ゴメンネ 何かしてほしいことはないかい?」

          --->親の不注意で亡くしたことで。

次男 「羊羹が食べたい」                                    

         --->終戦後 物資が配給で不足しているときで、困ったと思ったら。

次男 「あそこに有る」 と奥の戸棚を指さした。      

         --->母親は子供多く見える所に置くとすぐに食べられるので奥の所に隠していた事を忘れていた。

 羊羹を渡したら、目を閉じたままムシャムシャと食べました。

◎不思議1 早く亡くなったことを言い当てる。
◎不思議2 生前次男の自分の呼び名を言い当てる。
◎不思議3 初めて訪問した家で、隠して置いた羊羹の場所を言い当てる。

以上のことから 霊界は存在すると信じます。

  私のブログ 女性の幽霊 は 他の方法で 霊界を現わしています。

2015-5-10 上記修正